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【BBS:Q&A 62】創造活動と国語力

仁悟の坐禅相談室『坐禅の智慧で答えます。』 創造活動と国語力

Presented by

2015年3月:サンテPC様より


サンテPC様の投稿

布施先生はほんとに読者を惹きつける文章を書かれるなぁと思うのですが、一つ天職・創造性と国語力の関係について質問があります。

布施先生が『ちょっとはマシな坐禅作法』のHPで挙げられている禅者は、岡本太郎やダリさんを筆頭に芸術家や作家など創造分野において活躍された人ばかりです。 この理由を、以前は布施先生が作家志望だからなのかなと考えておりました。 だって、この世では他にもスポーツとかサブカルとか何でもいいんですが、庶民が霊性の違いこそあれど興味や関心を持ち、世間的に認められている分野が沢山あるのに、現代ではマイナーといってよい古典文学や芸術文化に焦点を充てられているのは、その分野に関心が強いからという理由が最もしっくりきたからです。

しかし最近、布施先生が座禅の拠り所にされているという記事の影響でシュタイナーの本を読むようになり、そこに

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既に本能的な霊視能力を失ってしまった現代の人間にとって、霊的な探求の唯一確実なよりどころとなるのは思考の力だけなのです。 現代の人間が進化のプロセスに沿った正しい方法で霊的な探求を行うためには、明るい自我意識を保ちながら思考を拠り所として魂や霊の世界に足を踏み入れる以外に道はありません
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と書かれているのを読んで、イヤイヤ待てよ、逆に霊的な探求に不可欠なのが創造性ではないのかと思うようになったのです。

事実布施先生が今回のような縁覚道について書かれている記事というのは、一般的にはとても難読に感じ、去年の10-11月頃には読者からのクレームが多数届いています。 修行によって得られた証果の確認をすると共に、直接霊的な思考を高める役割が経典や聖書、公案にあるという解釈が正しければ、これらを読み解くだけの基礎的な国語力や教養がなければ、よほど霊的に悟った天才でない限りは端っから悟りへの道はないという事実にぶつかります。

これは国語の苦手な僕からすると空恐ろしい事実なのですが、この解釈が正しいのかどうかご教授お願いします。

(布施先生のアドバイスを元に一晩アイデアを寝かせたら、より疑問が明確になったのですが、今回の質問も抽象的で分かりづらいかもしれません。申し訳ないです^^;)

赤雲水

当山の返答

黒雲水


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現代ではマイナーといってよい古典文学や芸術文化に焦点を充てられているのは、その分野に関心が強いからという理由が最もしっくりきたからです。
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ん〜、なるほど、鋭いですね。たしかにそうかもしれません。

鬼和尚さまが、OSHOとかいう20世紀の覚者の本を勧めていたので、読んでみたんですけど、なんか私と発想が似ていて「面白いもんだな」と思いました。 OSHOさんて、活動のテーマが『古典の再生(ルネサンス)』みたいなんです。 関心の強い分野に惹かれるというのは、悟ってからも変わらないものなんでしょうかね。

で、OSHOさんは創造活動も勧めています。 私の読んだ本では旋回舞踏を勧めているのが印象的でした。 「踊っていれば、そのうち我を忘れて無為になるから、やってみな」 という感じで、道(タオ)の「有為を仮りて無為に至る」を説明しているんです。これは、たとえば… 矢印マーク 『ちょっとはマシな坐禅作法』【坐禅作法73】天職の見つけ方 の記事で、22歳のレイ・ブラッドベリが『みずうみ』を書いたときに体験したというのが無為です。 ブラッドベリは“リラックス”と言ってますけどね。つまり…

「創造活動という有為を通じて無為を学ぶ」

それが涅槃に至る道の途中のカリキュラムに組み込まれているらしいんです。したがいまして…

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イヤイヤ待てよ、逆に霊的な探求に不可欠なのが創造性ではないのかと思うようになったのです。
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「この直感は正しい」と思います。 ある人は、政治活動や会社経営を通じて、別の人は、スポーツや文化活動を通じて、それから、私のように、芸術活動を通じて無為を学ぶ。 そんな感じで人それぞれに適した道があるようです。

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「既に本能的な霊視能力を失ってしまった現代の人間にとって、霊的な探求の唯一確実なよりどころとなるのは思考の力だけなのです」
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ここで、R・シュタイナーが言っている「本能的な霊視能力」というのは「オーラが見える」とかの不思議系の能力でしょうか。 実際問題として、そういう能力の欠けている人がほとんどなので、哲学的思索の道を勧めているのかもしれません。 そもそもR・シュタイナー自身が、哲学的思索に勝った性質を持っていましたから、そういう弟子が集まってきたことも、この発言の根底にはありそうです。

1.ラージャ(禅定)
2.バクティ(信仰)
3.カルマ(輪廻)
4.ギャーナ(哲学)

ヨーガではこれらの類型的な四つの道があると説明されますけど、R・シュタイナーはギャーナに勝ったタイプといえるでしょうか。 たぶん、私も同じ性質なのでR・シュタイナーに惹かれているんですけど、これはやはり人それぞれの性質に合った道があるはずですから、R・シュタイナーの云うことが“絶対”というわけではないと思います。

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直接霊的な思考を高める役割が経典や聖書、公案にあるという解釈が正しければ、これらを読み解くだけの基礎的な国語力や教養がなければ、よほど霊的に悟った天才でない限りは端っから悟りへの道はないという事実にぶつかります。
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国語力を心配する必要は全くありません。

作家先生たちの文章読本なんかを読みますと「そもそも国語の問題を作成すること自体がおかしい」みたいなことを言うくらいで、学校教育で求められている国語力で創造的に文章を書くことは不可能なんです。

ですから、「国語の苦手な僕」というのは、むしろ、才能であります。

経典や聖書、公案を読み解く能力は、私が“バベル語”、R・シュタイナーが“オカルト文字”と呼んでいるものを読み解く能力で、世間一般の国語力とは次元の違う能力です。 これは「有為を仮りて無為に至る」を学ぶ段階に入ったら、必ず自分の中から湧きあがってきますので、現在できる観察を粛々とやることが近道ではないでしょうかね。

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布施先生のアドバイスを元に一晩アイデアを寝かせたら、より疑問が明確になったのですが、
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そうでしょ〜。

寝ている間に活動してくれているやつがミューズです。 そいつを信じれば信じるほど「有為を仮りて無為に至る」に近づきます。


サンテPC様の投稿

えっと……布施先生や鬼和尚さまが注意しているのは、禅者はシュタイナーの運命の試練をクリアしなければバベル語を習得出来ないので、その場合経典を誤読する。

そういった人たちも修行の内の苦悩は避けられないので、短兵急に答えを出そうとした結果、粘り強い観察や思考を断念して禅定に走ったり、安易に自分の中で修行を決着してしまってそれ以上の霊的な探求を止めてしまう、ということだと理解していましたが、禅者のタイプによって悟りへ歩む道は違ってくるのでしょうかね。 つまり……

1.ラージャ(禅定)
2.バクティ(信仰)
3.カルマ(輪廻)
4.ギャーナ(哲学)

この四つの道はいずれも悟りへの道に繋がっているのでしょうか?
ヴィパッサナによる自己の内側の観察や探求にのみ悟りがあるのではないのですか?

ヨガとは関係ないのですが、将来的に日本でもカジノが解禁するらしく、東京五輪に向けた日本政府イチオシの政策ということで私もその登り船に乗るために有志と共にギャンブルのHP作りなど準備しているのですが、ギャンブルに限らず頭を使う仕事って数字と言語に強い人ほど活躍するような気がしています。 当然かもしれませんが、やっぱり創造分野で活躍するためには必要な能力ですかね?? というのも、もし僕がこの先バベル語を習得して経典が読めるようになっても、布施先生のようにクオリティの高いHPなどを作れる気がしないのです(涙)

最近会った高校の先生や友人達に聞いても、国語や数学は生まれつきのセンスの問題で今更どうしようもないよと言われてしまいました。 布施先生は禅やヨーガという不毛地帯をこのHPで体系化されていますし、昔SEをされていて同僚の中でも抜きん出る成果を挙げられており、国語や数学に強い人だということがビンビンと伝わってきます。

禅者としては凡人?な先生が一からヨガを進化させてきたのですから、大人になっても学校教育に縛られない実用性のある本物の国語や数学の力を上達させる秘訣などがあったら是非こっそりと伝授してくれませんか?

桃雲水

当山の返答

青雲水


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1.ラージャ(禅定)
2.バクティ(信仰)
3.カルマ(輪廻)
4.ギャーナ(哲学)
この四つの道はいずれも悟りへの道に繋がっているのでしょうか?
ヴィパッサナによる自己の内側の観察や探求にのみ悟りがあるのではないのですか?
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もちろん、どの道も悟りへの道につながっています。 で、どの道を行こうと、最終的には「ヴィパッサナによる自己の内側の観察や探求」が要求されてくるということです。

そうですね…たとえば『あるヨギの自叙伝』の著者・ヨガナンダはバクティに勝ったタイプだったんですけど、師のユクテスワはギャーナに勝ったタイプでした。 師・ユクテスワがあまりに透徹した哲学として神を説明するものだから、「神よ!神よ!」と真理を求めてきた弟子・ヨガナンダは当初ずいぶん戸惑ったようです。

でもね、師のユクテスワに対する反感が起こったときにその感情を観察して消していくことを覚えるんです。

師と弟子のタイプの相違

私はどちらかというと信仰心の勝った性格をもっている。 そのため、初め先生が、神の問題を霊的数学のようにもっぱら理論的に説明されるのを聞いて当惑してしまった。 私には、先生がギャーナ(理性)一本に貫かれていて、バクティ(信仰心)に欠けているように見えたのである。

しかし、私自身を先生の性格に調和させたとき、私は、信仰心を通じて神に近づく自分の行き方が、弱められるどころかかえってますます強められるのを発見した。

悟りに達した師は、いろいろな性格の弟子をそれぞれの傾向に合わせて最も適切な道に導いてくれるのである。

(パラマハンサ・ヨガナンダ『あるヨギの自叙伝』P129「第十二章 わが師のもとで」)


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布施先生のようにクオリティの高いHPなどを作れる気がしないのです
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これ、不思議なんですけど、もの心ついた頃から、どういうわけかコンピューターに興味があってね。 知ってるかな。 その昔「BASIC」っていう簡単なプログラミング言語があったんだけど、それで小学生の頃からゲームを作ったりしてたんだよね。 でも、大学進学の時に専攻したのは西洋哲学なの。 ホントにオツムはバリバリの文系なのさ。 だから、数学はからっきしダメなのよ。 それにもかかわらずSEになっちゃってね。なんか…

HP『肴はとくにこだわらず』を作ることが最初から決まってたんじゃないか…

なんて思うところがあるんだよね。 結局、進路の分かれ道に立ったら、己れの本心にしたがって、それを信じるしかないんじゃないかな。 だから、私は人の進路の決定にはとやかく言いたくないんだよね。 「好きなようにやんな、そこにきっと何かあるから」みたいな感じ。

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やっぱり創造分野で活躍するためには必要な能力ですかね??
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必要な能力は、必要なときにもれなく身に着けられるようになってるみたい。 うまく言えないんだけど、つまりは、そういうことなのさ。 だから、この台詞、大好き。

― ホグワーツでは それを必要とするものにまさに必要なものが与えられる ―
(by ホグワーツ魔法学校校長・ダンブルドア/映画『ハリー・ポッター』)

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学校教育に縛られない実用性のある本物の国語や数学の力を上達させる秘訣などがあったら是非こっそりと伝授してくれませんか?
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数学はダメなんだけど、文章の上達の秘訣だったら教えられるかな。

一、よく読み、よく書け。
二、少数精鋭の名文を繰り返し読め。君が名文だと思ったらそれが名文だ。
三、ミューズを信じろ。

以上であります。簡単でしょ。

矢印マーク 『あるヨギの自叙伝』

インドのヨガ行者の修行記。
悟境の深まりにつれてエピソードに込められた真意が立ちのぼる。
そのとき物語は警句となり教訓となって迫ってくる。
聖者独特のぶっ飛んだユーモアも楽しい。
よく書き残してくれたと思う。
聖典『バガヴァッド・ギーター』入門書としても最適。


サンテPC様の投稿

1.ラージャ(禅定)
2.バクティ(信仰)
3.カルマ(輪廻)
4.ギャーナ(哲学)

これ分かりやすくて、早速ノートに書きました。 悟りの道が四つもあると知って、気持ちがちょっと楽になりました。 悟りイベントってランダムですし、その道のりも意外と柔軟で応用が効くんでしょうかね。

覚者の書いた本を色々読んでみると、いきなり真我探求を勧めていたり、思考を捨てて今ここの意識に気づけとか書いてあってかなり混乱させられましたけど、書く方と読む方の双方に修行段階や内容、タイプの違いがあるし、考えるほど面倒臭くなるんですよね。 もっと大らかに視野を広げて長い目で見ていった方がいいですね。

信仰や禅定の道で自己の観察をするのは難しそうだけど、哲学の道もまた思考のドツボに嵌ってしまいそうですね。 哲学と観察がごっちゃ混ぜになっていまいそう(汗) 布施先生は主に哲学の道を用いて悟る方法を教えておられるのですかね。

以前の記事で先生は32歳の頃からずっと哲学の道を続けてこられ、まだ定力はないのでこれから定力を高めていくということでしたが、三徳に挙げられている止観の止(禅定の道)の代わりに哲学の道があるのならば、定力は必要ないのではないでしょうか? つまり、三徳の止の部分を哲学や信仰に置き換えることも可能なのでしょうか。 それとも、二つの道をまたがっていくことができるのでしょうか。 哲学と禅定の組み合わせは、まるで水と油のような関係だと思うのですが……。

あと、

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どの道を行こうと、最終的には「ヴィパッサナによる自己の内側の観察や探求」が要求されてくる
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この“最終的”というのは、ヴィパッサナは全ての悟りの道の入口?出口まで必要ですよということですか?
それとももしかして最後だけ?

例えるならば……哲学が臨済宗の公案、禅定が曹洞宗の只管打坐、輪廻が俗世みたいな感じで、どこを修行の場に選んでも初めから終わりまでヴィパッサナは必須課題だということですかね。 しかし、どこのお寺もヴィパッサナをやってなさそうなんですよね……。

ヴィパッサナって中々頭の中だけで行うのは難しくて、日常生活で何かに没頭してたり、嫌なこと・腹立つ場面に遭遇した時に根深い自我の一角が頭を出すので、そこを捕まえてやると上手く観察できる気がするんです。 むしろ今の僕は頭であれこれ考えるより行動して人生経験を積んでいった方が、自我暴露も進みやすいのかもしれないです。

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数学はダメなんだけど、文章の上達の秘訣だったら教えられるかな。

一、よく読み、よく書け。
二、少数精鋭の名文を繰り返し読め。君が名文だと思ったらそれが名文だ。
三、ミューズを信じろ。

以上であります。簡単でしょ。
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まるで公案のようです。 理解するのは簡単だけど、ものにするには長い時間かかりそう。 公案はまともに相手すると頭がパンクしてしまうので、そういう時は一旦時間をおいた方がいいですね。

名文に触れて読み書き音読しろというのは、斎藤孝さんの本に書いてありました。 辞書片手に色々興味のある古典とか読んでみます。

緑雲水

当山の返答

赤雲水

修行段階とタイプの違いは、入門時の基礎知識として説明されるべきことなのかもしれません。 そうされないと、やっぱり、当惑しますよね。

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信仰や禅定の道で自己の観察をするのは難しそうだけど、哲学の道もまた思考のドツボに嵌ってしまいそうですね。哲学と観察がごっちゃ混ぜになっていまいそう(汗) 布施先生は主に哲学の道を用いて悟る方法を教えておられるのですかね。
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たぶん、理窟っぽいんだよね、私。

おかげで思考が止まらない。 定力がなかなか身につかなかったのはそのせいじゃないかと思ってます。 だから、思索による観察が性に合ってたんじゃないかな。

逆に、どうやら定力無双タイプの人たちって理窟でものを考えないみたいなんですよね。 理窟が通じないもんだから、「アホじゃないか、コイツ」なんて思うときもあるんだけど、そうじゃないのさ。 単純にタイプの違いなの。 これは、見習うべきところでもあるんです。

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以前の記事で先生は32歳の頃からずっと哲学の道を続けてこられ、まだ定力はないのでこれから定力を高めていくということでしたが、三徳に挙げられている止観の止(禅定の道)の代わりに哲学の道があるのならば、定力は必要ないのではないでしょうか?
つまり、三徳の止の部分を哲学や信仰に置き換えることも可能なのでしょうか。
それとも、二つの道をまたがっていくことができるのでしょうか。
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これね、この間ようやく気づいたんだけど、面白いの。

[悟りの軌道]
声聞道9年+縁覚道9年=面壁18年

こういう大悟に至る“悟りの軌道”があるらしいのね。 ニサルガダッタ・マハラジなんかは「真剣さによって前後する」と説明しているんだけど、たしかにそれはあると思う。 ニサルガダッタ自身が軌道から外れてるから。 あと、中国元代に高峰原妙っていう天才禅師がいるんだけど、その人も軌道から外れてる。 でも、悟った人のほとんどがこの軌道に乗っかって悟ってるわけ。

三徳の関連図(修正第二版)
図:布施仁悟(著作権フリー)


天台大師の三徳は「観から始まって、途中から止が入ってきて、やがて非止非観に至る」ということなんだけど、これは、こういうことでもある。

― 観を学ぶは声聞道、止が始まれば縁覚道、小悟に至って非止非観 ―

つまりね、こういうことなのさ。

声聞道:運命の試練を九年間受けて観察力を養う。
縁覚道:いよいよ禅定に入って大悟を目指す。
     →三年後に小悟に至って非止非観。
     →さらに聖胎長養六年で大悟。

縁覚道から先のことは中国道教の文献にバッチリ年数まで出てるのよ。 だけど、声聞道の運命の試練九年間のことがスッポリ抜け落ちてるわけ。 20世紀初頭のR・シュタイナーの『いか超』はそこに先鞭をつけたんだな。 で、なんだか知らないんだけど、21世紀になって、日本の布施仁悟がそこに価値を見出したというわけであります。 歴史ロマンだよね。

というわけなので、観(ヴィパッサナ)は基礎段階にある最初の九年間で身につけておくべき能力ですから、最初から観察をやっとけば間違いないし、そうじゃない場合でも、どこかで観察を身に着けなきゃイケナイというわけです。 どのみち止(サマタ)の部分も必須課題になってくるので、“定慧一等”・“止観双修”、観と止は鳥の両翼の関係にあるのであります。

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しかし、どこのお寺もヴィパッサナをやってなさそうなんですよね……。
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それは、いかんな。そんな寺の坊主どもは片っ端からデコピンじゃ!

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ヴィパッサナって中々頭の中だけで行うのは難しくて、日常生活で何かに没頭してたり、嫌なこと・腹立つ場面に遭遇した時に根深い自我の一角が頭を出すので、そこを捕まえてやると上手く観察できる気がするんです。 むしろ今の僕は頭であれこれ考えるより行動して人生経験を積んでいった方が、自我暴露も進みやすいのかもしれないです。
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人生そのものが公案。それが基本だと思います。 それがヴィパッサナの土台なんです。

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まるで公案のようです。 理解するのは簡単だけど、ものにするには長い時間かかりそう。
辞書片手に色々興味のある古典とか読んでみます。
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なんと、古典を読もうとするとは…どうやら、かなり本気のようですね。 気に入ったぞい。レッスンしてあげよう。

******** 仁悟式 天才ブロガー養成ブックガイド ********

■ 至道無難 ■
〜文章道を究めることには何も難しいことを求められてはいない〜

なにも古典を読む必要はないのだ。もっと平易で小粋な文章を読むといい。

■ 無難無易 ■
〜それは難しいことではないが、たやすいというわけにはいかない〜

基礎技術から応用までを学ぶにはそれなりに数をこなさなければならない。
これは段階を追って文章の書き方を学ぶためのブックガイドである。

1.本多勝一『日本語の作文技術』

まず、日本語の特徴を知り、修辞法を学ぶ。

2.『文章読本』三人衆「向井敏・丸谷才一・谷崎潤一郎」

向井敏『文章読本』からは名文の構造を学ぶ。
丸谷才一『文章読本』からは文章の読み方を学ぶ。
谷崎潤一郎『文章読本』からは音調と文章センスを学ぶ。

3.『文章作法』四人衆「Sキング・Rブラッドベリ・丸山健二・村上春樹」

スティーヴン・キング『書くことについて』
レイ・ブラッドベリ『ブラッドベリがやってくる―小説の愉快』
丸山健二『まだ見ぬ書き手へ』
村上春樹『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです』
この四人からは文章のミューズとの付き合い方を学ぶ。

4.清水義範『パスティーシュと透明人間』

達人の文章をまねるのが上達の近道である。
清水義範は模倣の達人だ。文章のまね方をまねる。

5.浅田次郎『極道放浪記1・2』

浅田次郎はこのシリーズを連載している間に文章のコツを掴んだ。
文章がどんどんうまくなっていく。その過程を学ぶ。

6.向田邦子『父の詫び状』

起承転結のしっかりした文章もたしかに素晴らしい。
しかし、その型から脱け出せば、自由自在に筆が走る。
向田邦子の型破りを学ぶ。

7.丸谷才一『男のポケット』

オチが決まれば文章は決まる。
丸谷才一からはオチのつけ方を学ぶ。

8.宮脇俊三『時刻表2万キロ』

「である」が決まればジョークが決まる。
宮脇俊三は「である」の達人である。

9.村上春樹『中国行きのスロウ・ボート』

うがった比喩は文章の隠し味。
村上春樹からは比喩の使い方を学ぶ。

10.矢沢永吉激論集『成りあがり』

実は、これ、口語文の見本のような本である。
話し言葉を文章に表わす技術を学ぶ。

■ 言語道断 ■
〜もはや言うべき言葉は見つからない〜

これで基礎は完璧になる。後は己れの名文を究める旅に出るがいい。

(参考:三祖『信心銘』)


サンテPC様の投稿

言語道断ってネガティブな意味での使い方だけだとと思っていましたけど、この言い回しはなんかカッコいいですね!

確か受験の勉強本でも、基礎を完璧にすれば難関大学も突破できると書いてあったので、このガイドに沿って文章の基礎を学ばさせていただきます。

僕もヨガをはじめた頃はまず定力を身につけようと練習したのですが、全く上達しなかったです。 無心になれといっても抵抗があって、毎日ノートにヨーガとかギャンブルについて思い浮かんだことをひたすらメモし続けていました。 なのでメモの土台となる国語の能力を高めて、より抽象的な思考とか概念を言葉に表したいと願っていたのです。ガイドブックがそれを叶えてくれそうです。

黒雲水

当山の返答

桃雲水

この“言語道断”は三祖『信心銘』の最後にあるんです。 いわゆる“模倣”の典型例であります。 でも、清水義範の得意なパスティーシュというより、これはパロディレベルかな。

「より抽象的な思考とか概念を言葉に表したい」というのはですね、ボキャブラリーの問題は15パーセントくらいなものです。 おそらく、もどかしく感じていると思うんですよね。 なんというのかな…「自分の思っていることと言葉とのギャップ」と言いましょうか…そういうの。 これね、ボキャブラリーが増えても解消されないんです。

ちょうど「比喩を考える」ようなものかな。 心情にピッタリくる比喩で、万人が共感できる比喩って、けっこう難しいものなんです。 そこいくと村上春樹は比喩が非常に上手い。 これ、何でかというと、ミューズとのパイプが出来ているからです。 これは訓練です。

一、まず、気持ちを鎮めて、表現したい感情を思い浮かべて、言葉が浮き上がってくるのを待つ。
二、しっくりくる表現になるまで何度でも書き直す。

『ちょっとはマシな坐禅作法』の「心随観のヒント」の一連の記事に“言葉の処方箋”を紹介してありますけど、あれ、ちょうど現在のサンテPCさんのいる時節に作ったものなんです。 この訓練をやってね。 是非、やってみるといいです。 そうすると、どこかで聞きかじった借り物の言葉じゃなくて、自分の言葉を話すようになる。 もちろん、ミューズとのパイプも出来てくるから。 この訓練が終わった頃に、自分の才能が何なのかがわかってくるんじゃないかな。少なくとも私はそうでした。


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