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【BBS:Q&A 46】ラストチャンス

仁悟の坐禅相談室『坐禅の智慧で答えます。』 ラストチャンス

Presented by

2014年7月:夢窓様・覚者様より


夢窓様の投稿

どうも、こんばんは。

大きく出て、早い出戻りです。 ブログは時々見ていましたよ。 一連のやり取りを見て、自分なりに落とし前をつけに来ました。 今日はネットの情報を一日中整理してたので、もうエネルギーはスッカラカンです。 まとまりのない文章になりそうですが、機が機なので話します。

今回の件には責任を感じていますし、反省をしました。

数ヶ月前のことは、後悔していません。 遅かれ早かれ、自分で道を切り開いていかなければいけないようですから。 ですが、自分のやってきたことをなんとか認められたい、理解されたいという気持ちがあり、それを何とか押し通そうとしていました。 ですがそんな期待は持ち続けてもしょうがないのだと気づきました。 今は何から何まで都合よくわかってもらえるなんて無理で、だからそんな必要もないのかもしれないと改めました。

僕は僕の人生を見ているし、誰かは誰かの人生を見ています。 交わったとしても、お互いが、お互いの人生の詳細なことまでわかるはずもないのに、無理な期待をしました。 それは自分にもできないことです。

出ようすれば打たれるということと同じなのかはわかりませんが、仮にそうだとしても、それは真剣に何かを志したら、誰にでも平等に起こることで、それは必要なことなのだろうなと思っています。 ですから遺恨はありません、一応。

以前に話しましたよね?

布施仁悟さんのことを正師だと本気で思っていた、正師だけど、素性を隠して弟子の進歩に応じて隣人のフリをして近づき、方便を説いているのだと。仙人列伝などに出て来そうな話です。 実は今でもそうなんじゃないかなんて思うことがあります。 疑心暗鬼なんですかね? 裏に何かあるって思っていまうのは。

布施仁悟さんは以前、求道者は道の途上で必要な情報を無意識的に取得するようになっているようだと言いました。 確かにそうですね。 必要に応じて惜しげもなく与えられてる様です。 インターネット上で偶然見つけたブログなどから情報を拾うことが多いのですが、僕はその度に何度も何度も、それは見ず知らずの他人ではないような感じがします。 誰かが先回りしてるのではないだろうかと、疑心暗鬼になります。 そしてその相手に特定の人物を投影しているのです。 布施仁悟さんもその1人です。 何故だかわかりません。

この症状は結節が解放された後から始まりました。 ちょっと病的ですよね。 神経症なのでしょうか。 魔境?でも魔境という言葉はおどろおどろしくて、嫌ですけど。

インターネットを使うと便利ですけど、顔が見えないのですし、文章だけだと相手を感情を感じ取りにくくて、戸惑うことがあります。 携帯電話で友人とメールを始めた頃、メールというのは、普段と違った印象を抱いてしまうことものだと思いましたが、今でも相変わらずそうなのかなと思います。 こういうことがあると、もし相手を観ることができる霊視力があればいいのになと、よく思います。 でも意図的にそれは求めないようにしてきました。 そうすることが大事なことだと信じてやってきました。

話がそれました。

話したような拘りがあって、本当は投影してるのは自分の中の鬼なのかもしれませんが、ふとしたきっかけで、納得できないことに感情的になってしまうことはあります。 それはそれで求道者らしく対処すればいいのですが、昨日は、そうではなく強い抵抗の想いを持ちました。 意図的にです。 態度ではなく、想いで強い拒否を示したのです。

引き寄せの話がでましたけど、求道者のはしくれだけあって、それが常態になりつつあるのだろうかと、昨日の今日なので、今回のスシュムナさんと布施仁悟さんのやり取りを見て、自分の想いに責任を感じました。 こういうことはしんどいですね。 なんだか気持ちも萎えてしまいました。 私事なので上手く伝わらないかもしれませんし、考えすぎなのかもしれませんが、自分自身に直面している、出会うのは自分自身なのではないか、そう思いました。 自分が禅をやっているのかもわかりません。仏教をやってるのでしょうか?

才能ってなんでしょうか?天職ってなんでしょうか?

僕は一流の雲水、足跡を残す。その先は知らない。

赤雲水

覚者様の投稿

黒雲水

夢窓よ

ようやく、気づき始めたかのう。

主はずっと、「将来の理想的な自分」と「現在の未熟な自分」という境界線を作り出し、あーでもないこーでもないすったもんだを繰り返していたのじゃよ。

肝心の今にいないのじゃよ。

もし、思いが実現するというのなら、その潤いを失った心が実現されるのではなかろうか?


当山の返答

夢窓さんのゴロツキはこれで二度目だったかな。 昨年、行の証果を得たときの増上慢が一度目。で、今回が二度目。 もっとクールに成長できないものかと思うんですけど…それが個性なのでしょうか。

>自分のやってきたことをなんとか認められたい、理解されたいという気持ちがあり、それを何とか押し通そうとしていました。 >ですがそんな期待は持ち続けてもしょうがないのだと気づきました。

そこに気づいたのは良いとして、克服するには、まだまだ時間がかかるでしょう。 同時に、その点にも気づいているでしょうか。 つまり、その根源にある原因を除かなければ、また同じことを繰り返してしまうということです。

その原因の一つがココにあります。

>誰かが先回りしてるのではないだろうかと、疑心暗鬼になります。
>そしてその相手に特定の人物を投影しているのです。布施仁悟さんもその1人です。
>何故だかわかりません。この症状は結束が解放された後から始まりました。ちょっと病的ですよね。 神経症なのでしょうか。

これは対人恐怖症の亜種というやつなのかな。

結節解放以降に現れたというのは、夢窓さんが、現在、克服するべき課題だから。 結節を解放したときペルソナの存在を一瞥したのだから、次は、そのペルソナを形成している原因を暴露して破壊しなければならないのはワカるとおもいます。 そして、そのための勇気を獲得するためには自尊心を回復しなければならないわけですけど、その自尊心の回復の仕方を夢窓さんは間違えているんです。

>疑心暗鬼なんですかね?裏に何かあるって思っていまうのは。

「裏に何かある」と思うのは、そこに因果律を観ようとしているのだから、大切な姿勢なのですが、夢窓さんの場合は、因果律を信頼のおけない誰かに支配させています。

で、ここが面白いんですけど、夢窓さんの場合は、ちょっとおかしな考え方をしていて、たいていの人はキーパーソンである親に因果律を支配させているものなのに、それがもっと広い範囲に及んでいて、たとえば、布施仁悟もその一人になっています。 だから「布施仁悟に束縛されている」なんて考えてしまうんです。 私はとばっちりもいいところだよね。

解決策は自分を導く内なる師(サット・グル)と遭遇してその導きを信じることです。 夢窓さんに起こる因果は、夢窓さんの成長のためだけに内なる師がそそのかしています。 ニサルガダッタ・マハラジはその内なる師こそ最後にたどり着く存在であり、それは自分自身なんだと云っているんですけど、以前、夢窓さんの内なる師のイメージは複数人だと言っていましたよね。 おそらく、その複雑なイメージが弊害を生んでいるんです。

それから、覚者さまが指摘しているように、夢窓さんは「理想的な自分像」を追い求めすぎています。

>才能ってなんでしょうか?天職ってなんでしょうか?

これは声聞道の段階をクリアするごとに少しずつ明確になってくることですから、誰も現在の夢窓さんに適切な答えを提示することはできません。 内なる師の導きと因果律を信頼することがその答えになるとしか応えようのないことなんです。

これは、たいていの人が勘違いしているんですけど、理想的な自分を実現するための心随観のヒント「8想像から創造へ」の内容は、ペルソナを形成している原因を暴露した後からのテーマだから、もう少し先の段階における修行法になっています。

夢窓さんの現在の課題は自尊心を回復して、ペルソナを破壊するための勇気を獲得することなので、むしろ、このテーマにじっくり取り組むべきではないでしょうか。

矢印マーク 『ちょっとはマシな坐禅作法』【坐禅作法27】禅的三密観
矢印マーク 『ちょっとはマシな坐禅作法』【坐禅作法32】禅の認知療法的アプローチ

桃雲水

夢窓様の返答

青雲水

あっ、覚者さん。もう驚きません。

主ですか?主、主、主???はてな。

すったもんだを繰り返すのも案外楽しかったです。 まだ充分にわかっていないので再考してみます。 どうもありがとうございます。


夢窓様の返答

>これは対人恐怖症の亜種というやつなのかな。結節解放以降に現れたというのは、夢窓さんが、現在、克服するべき課題だから。

時間がかかるというのは薄らと了解してます。

亜種ですか? 以前にも話しましたけど、高校生の頃には歪みの様なものが出ていて、それには苦労してきました。 結節解放後に出たのは...確かに現在克服すべき課題なのかもしれませんけど、これ一年もひっぱちゃってますね。

とりあえず間違っていたとしても、僕なりの見解もちゃんと話しておきたいです。

結節の開放について。

あの時は全く偶発的に起こったものだったんです。 別にペルソナを剥ごうとしていたわけでもありませんでした。 それで今になってアレがどういうことだったのか、いろいろわかって来たことがあって。 あとペルソナだけじゃなくて、インナーチャイルドについても話していいですか? ちょっとズレちゃいますか? ペルソナを落した結果、インナーチャイルドが見えてきたのかもしれませんけど。 とりあえず僕的にはそっちの方がしっくり来てるので、そうさせてください。

詳しい内容は以前にメールで送りました。

苦しんでいる少女とか、助けに行く勇気とかそういう語りがありました。 あれは、小さな女の子のような姿を夢で見て、強く印象に残っていて、あの日はその意味をなんとなく再熟考していました。 そうしたらまた小さな女の子のヴィジョンがパッと浮かんで来て、なぜだか知らないけど助けなければいけない、そのための勇気が欲しいと思ったんです。 その直後に気づきが起きて、一瞥の時に抱いた誤解と自責の重荷を捨てました。 縁起、空性?をそこに認めました。 風のように出来事の出所は不確かで繋がっている。 それまでは挑戦と信念を貫けない弱い自分を認められませんでしたが、行為の原因と結果を自分一人が背負う必要はない、出来事は縁起でなりたっているのだからという、気づきですね。

こんな感じでほとんど意味もわからずトントンと拍子で起こりました。

それで小さな女の子がインナーチャイルドだったんじゃないかと思います。 たぶん。 でもなんで女の子だったのか...見間違いかな。 そのことに現在まで気づかなくて、アフターケアも意識しないまま。 この一年間が無駄だったなんて思いませんが、やはり根深い部分には対処しきれていなかったんです。 それでインナーチャイルド達の声を聞いてあげることも課題だと感じています。

>夢窓さんの場合は、因果律を信頼のおけない誰かに支配させています。
>解決策は自分を導く内なる師(サット・グル)と遭遇してその導きを信じることです。 夢窓さんに起こる因果は、夢窓さんの成長のためだけに内なる師がそそのかしています。 ニサルガダッタ・マハラジはその内なる師こそ最後にたどり着く存在であり、それは自分自身なんだと云っているんですけど、


信頼のおけない誰かに因果律を支配させている? 僕の成長のためだけに内なる師がそそのかしている? ここ、もう少し説明頂けますか? 憑きものでもいるってことですか? そもそも内なる師というものはヨガやスピリチュアルなどでも言われている高次の自我とは違いますか? だって頭頂のあれでしょう?

>以前、夢窓さんの内なる師のイメージは複数人だと言っていましたよね。 おそらく、その複雑なイメージが弊害を生んでいるんです。

たぶんそうなんだと思います。

>それから、覚者さまが指摘しているように、夢窓さんは「理想的な自分像」を追い求めすぎています。

はい。その通りです。 なんかいろいろ妄想しますし。 事後、構築した感じがします。 やっぱ霊的体験ってどうしても囚われる部分がありますし、それに余分なものがひっついて膨らんで、大きな面になるのかもしれません。

>以前、夢窓さんの内なる師のイメージは複数人だと言っていましたよね。 おそらく、その複雑なイメージが弊害を生んでいるんです。

わかったかもしれません。 たぶんなんでも自分のこととして受け取る自意識過剰なところがありますね。 それで物事を複雑にしています。でもとても巧妙に感じてしまうので、そそのかされていると言えるのかなぁ。

「才能ってなんでしょうか?天職ってなんでしょうか?」

これは一人言のようなカンジで言ったので、個人的な価値観です。 紛らわしくて済みません。

>夢窓さんの現在の課題は自尊心を回復して、ペルソナを破壊するための勇気を獲得することなので、むしろ、このテーマにじっくり取り組むべきではないでしょうか。

はい。この辺はサボってる様に見えて、マイペースなだけなので。 心配ありません。 解決策は自分を導く内なる師(サット・グル)の導きを信じることですね。 ですからやはりお別れというか、自立しなけりゃいけませんね。

緑雲水

当山の返答

赤雲水

夢窓さんは勉強熱心なせいで複雑にものを考えているのかもしれません。

運命の課題を解いているときは無我夢中なので自分が何をしているのかワカラナイものですが、後になって振り返ってみると、そこに万人に共通する合理的な成長プロセスのあることがわかってきます。 ところが、仕入れた知識に囚われて複雑に考えてしまうと、その成長プロセスは見えてきません。 このプロセスは私より悟境の進んだ人でもワカッテナイ人がいて、道元禅師なんかは実にお茶目なことを書いていて面白いんですけど、そういう人たちの話をあまり真剣に聞くと混乱するだけですから、そういう部分を割り切って受け入れることが正解だと思います。

で、夢窓さんの言う結節解放のときに「夢窓さんには因果の視点が欠けている」と指摘しましたけれど、これは無理もない話で、これから夢窓さんが乗り越えなければならない課題“ペルソナを形成してきた正論の正体を暴露する”ことができたときに、因果律がバッチリ見えてくるんです。 ちょうど矢印マーク 『ちょっとはマシな坐禅作法』【坐禅作法74】自分探しの旅で書いた段階を乗り越えたときですね。

そうすると「内なる師(サット・グル)は因果律をどう使って修行者を導くのか」ということが分かってきますから、たとえば、

>僕の成長のためだけに内なる師がそそのかしている?

という疑問が解消されてきます。 なので、現在の夢窓さんが理解できるかどうかわかりませんけど、簡単に説明すると、

― 自分は心の使い方を誤ってきたために正論をでっちあげ、ペルソナを形成してきた。 そのペルソナのせいで、人生のドツボにハマったのだから、それはまるっきり自分自身の責任だった。 そのペルソナ形成の原因に気づかせるために、周囲の人間をそそのかし、自分を原因と結果の法則に直面させようとしている権威者が自分の中にいる。 おそらく、そいつが内なる師(サット・グル)だ。 ならば、心の使い方を誤らなければ必ず人生を変えてゆける。 ―

というようなことが確信に変わってくるわけです。

そうすると、たとえば、私が正師のようなフリをして夢窓さんを罵倒したとしても、あくまでも夢窓さんと内なる師との間の問題となりますから、別に私に認められる必要など何もなく、あくまでも夢窓さんは自分の心の中を観て、内なる師にだけ認められればいい。 心の中に自信が芽生えてくるのは内なる師との関係を確立したソコからなんです。 ソコから自立できるんです。

ユングなんかは12歳の十牛図一『尋牛』の体験のときにこのカラクリを見抜いてしまったんですけど、未だに夢窓さんは このカラクリには気づいていない。 なので、夢窓さんが語る因果律は、書物などから得た単なる知識でしかありませんから、以前、覚者さまが指摘していましたけれど、なんとなく“嘘っぽい”わけです。 おそらく仕入れた知識に囚われて複雑に考えてしまっているからではないでしょうかね。

以上のことを考えれば、

>信頼のおけない誰かに因果律を支配させている?

という疑問の意味がわかってくるのではないでしょうか。 夢窓さんは内なる師との関係を確立できていないので、あるときは親が権威者となり、またあるときは布施仁悟が権威者となる。 他人の意見に振り回されてしまうわけです。

― 山僧が人に指示する処の如きは、ただ汝が人惑を受けざらんことを要す。
(わしが君たちに言い含めたいのは他人の言葉に惑わされるなということだけだ)
(『臨済録』-「示衆」P.33-34より)  ―

夢窓くん、臨済の“喝”を受けなさい。


夢窓様の返答

>夢窓くん、臨済の“喝”を受けなさい。

ラジャーです。

別離です。 一年前にゴロツキとしてメールした時と同じ繰り返しですよ。 ケンカしなくちゃいけません(笑) 形は違っても同じことを繰り返してますよね?なんでだろうな。 でも直感は正しいだよな、その本当の理由がわからない。

ゴロツキは甘えたいのです。 それも心の叫びだと思います。 ゴロツキな態度なんて、ただの甘ったれです。 目上の人に対する挑戦なのです。 探っているのです。

尊敬していた、尊敬したかった人、慕いたかった人。 受け止めてもらいたかった人。 でももうそうしたくても以前のようにはできない。 そんな関係を維持できない。 でも今度はどう関係を保っていけばいけばいいかわからない。 そんなのが反抗期なのでしょうか。

とばっちり?でしょうか?

一年間、本で知識を仕入れ、本を捨てます(笑) どこか語ることが嘘臭い、そんな僕も今の僕です。 いつだって精一杯努力して、その努力に対して風が吹き、失敗する瞬間まで導いてくれます。 すべての試みが失敗する瞬間を見るために、試みてることに気付いていない僕。

嘘臭いですか?クサイ奴には一喝をどうぞ。

黒雲水

覚者様の投稿

桃雲水

夢窓よ

人には、「本能的な脳」と「思考的な脳」があるのじゃよ。

「思考的な脳」はおぬしの大好きな、あーでもない、こーでもないのうんちくで騒いでいる脳じゃよ。 本能的な脳とは体の調整をしたり、感性的な部分じゃ。 おぬしの好きなうんちくで、心臓などを例えば、今、貧血気味だから、血流をこーして、あーして、胃液をこーしてあーして、消化に必要な栄養素をあーしてこーして、など思考の脳でしていては、とてもじゃないけど、たちうちできないことをやっているのがこの本能的な脳じゃよ。

そして、この思考の脳は、単純な動きに弱いのじゃよ。

つまり、禅はこの思考の脳をしずめて、感性の脳を蘇らせるのじゃよ。

立禅もそうじゃのう。

身心脱落とは中心軸ができ、心も体もゆるみきった時に、地球の軸に吸い込まれるかのごとくおきるのじゃよ。


夢窓様の返答

覚者さんどうも。

お話を聞いて、立禅を少しやってみようと思いました。

僕は毎日コーヒーを飲むのが日課になっています。
コーヒーは思考―ざわついて…
紅茶は会話―散漫的で…
やっぱり禅者は日本茶ですっきりが宜しいですよね。

やっぱりコーヒーはうめぇー。

特に返事はいらないです。

青雲水

当山の返答

緑雲水

>嘘臭いですか?クサイ奴には一喝をどうぞ。

本音3割、能書き7割ってとこかな。

>いつだって精一杯努力して、その努力に対して風が吹き、失敗する瞬間まで導いてくれます。すべての試みが失敗する瞬間を見るために、試みてることに気付いていない僕。

この事実を深く見つめているならば、とっくにペルソナはぶっ飛んでいるはずだ。 能書きばかりたれるハナタレのようだから、お望みどおり一喝してやることにしよう。 キツイことを書くから覚悟したまえ。

“本音3割”…この意味がワカるか?

行の証果を得るまでの過程で、オマエは このカラクリを観たんだよ。

― 自分は心の使い方を誤ってきたために正論をでっちあげ、ペルソナを形成してきた。 そのペルソナのせいで、人生のドツボにハマったのだから、それはまるっきり自分自身の責任だった。 そのペルソナ形成の原因に気づかせるために、周囲の人間をそそのかし、自分を原因と結果の法則に直面させようとしている権威者が自分の中にいる。 おそらく、そいつが内なる師(サット・グル)だ。ならば、心の使い方を誤らなければ必ず人生を変えてゆける。 ―

これまでの体験は、このカラクリに気づいたとき、その証果として与えられたものにすぎない。

ところが、夢窓、オマエはどうだ。 それをチラリと覗き見しただけで後ずさりを始めたんぢやないのか?

オマエの素質は諸刃の剣に似ている。

このままいけば35-36歳を迎える頃にはクンダリニー覚醒の段階にも到達できるだろう。 そのときになっても、このカラクリを覗き見しただけだったら…

オマエは、いよいよ限界に達する。

素質の有効期限は先人たちがその人生をもって証明していることを学んだだろう。

38歳までだ。

その先へ進むには、それまでの内的体験の積み重ねがどうしても必要になる。 せっかくの素質を無駄にしないようにしたまえ。

禅のメソッドが要求していることは実にシンプルでクールだ。

一、ものごとをありのままに観ること。
二、不安や恐怖その他の原因でソレができないときはその思考パターンを観ること。

それしかない。

ものごとをオツムで解決しようとするオマエには この禅語の洗礼が必要だろう。

非思量、禅定!(Don't Think,Feel!)

ブルース・リーの蹴りを喰らえ。アチョー!

運命の課題を乗り越えたら、また法戦を挑みにくるといい。 鎧袖一触(がいしゅういっしょく)に競り落としてくれるわ。

健闘を祈る。


夢窓様の返答

布施仁悟さん、ごめんなさい。

僕と布施仁悟さんは違いますから。。。 でも何も言わない覚者さんはそんなあなたのことが好きなんだと思います。

でも暇ができたらまた来るかもしれません。

そうそうプッツンした時の、やりとりのやつ送りましたよね。 ほらあの掲示板の。 あそこの先生も武禅ライフでいこう!を見ているようですけど、今頃、またいろいろ言われているんじゃないかなぁって。

それを考えると、とっても良いことをしたなぁって。 ほら、遠隔のあの人とかも見ているみたいで。 お先生方も見ていますから、まったく良いことをしたなぁって。 そう思いました。

赤雲水

覚者様の投稿

黒雲水

夢窓よ

人の事はどうでもよい。おぬしに話をしておるのじゃ。

おぬしの大好きな「思考の脳」は新しもの好きなのじゃ。 単調な事に耐えられない、そのうち様々なゴタゴタを作り出し、悩んだり、不安になったり・・・

「禅」のネは稲穂がたれる、つまりお辞儀を意味する。 単は単純の単じゃ。つまり禅とは単純な事に敬意を払うということじゃ。 おぬしはこれが何を意味するかそろそろ理解せえ。

おぬしは、答えのないまま生きていくことが不安だから、誰かのせいにしたくなったり、勝手に人生の意味を作り出したくなったり、夢や目標をもちたくなったり、つまり答えを求めてしまうのじゃ。

真実というのは、あっさりして、信じる必要もないものじゃよ。

「思考の脳」でいくら、知識を埋め込んで、壮大なストーリーを作り上げても、不安から逃げている限り、自由にはなれんよ。


当山の返答

あらあら…“一喝”は不発に終わったみたいだね。

覚者さまが夢窓さんに向けている助言は私も真摯に受け止めなければならないことでもある。 「本能的な脳」と「思考的な脳」の話なんかは、私だって気づかされるものでもあるんだ。 じっくり考察してみる価値があると思うよ。

夢窓さんは、内なる師との関係を確立できていないから、まだ誰かの導きが必要だとは思うんだけど、これから独りで修行する意志があるみたいなので、私には引き止める権利はないとおもう。

ただ、ちょっと気になる点があるので、それを書き付けておきたい。

>そうそうプッツンした時の、やりとりのやつ送りましたよね。 ほらあの掲示板の。 あそこの先生も武禅ライフでいこう!を見ているようですけど、今頃、またいろいろ言われているんじゃないかなぁって。

たしかに彼はニセモノだけど、あれが彼の学び方なんだ。 時節が来たら嫌でも己れの無知にみずから気づく。 別に夢窓さんが指摘するまでもないことだとは思わないかい?

問題は、むしろ、夢窓さんがこう考えていることにある。

>それを考えると、とっても良いことをしたなぁって。

これは、自分のしたことを正当化するための正論をでっちあげる、ということにすぎない。 この正論を維持するために、夢窓さんは、さらなる正論を重ねて、自分で自分を呪縛することになる。 今回、私にゴロツキしたことだって、こうしてコメントを書き込まなければ、自分を正当化するために、やはり正論をでっちあげなければならなかっただろう。

そのでっちあげた正論は、いずれ必ず夢窓さんの人格を分裂させる。 やがて分裂に分裂を重ねて身動きがとれなくなるんだ。 その堂々巡りを繰り返すことに終止符を打つことがペルソナを破るということでもある。

夢窓さんは、まったく逆のことをやろうとしているんじゃないだろうか。

桃雲水

夢窓様の返答

青雲水

>たしかに彼はニセモノだけど、あれが彼の学び方なんだ。 時節が来たら嫌でも己れの無知にみずから気づく。 別に夢窓さんが指摘するまでもないことだとは思わないかい?

僕は彼がニセモノかどうかはわかりませんけど、本当にそう思います。

それじゃ、これ位にして、行きます。


当山の返答

あいよ。

今、ペルソナ破りに挑戦している修行者を私は一人知っている。 彼も、夢窓さんと同じ32歳の頃は心を直視することから逃げ回っていたんだ。

でも、33歳半ばを過ぎた頃に、はっきり言った。

「体軸をつくるためにチベット体操やら色々やってきたけど全然気分が晴れない」

それからの進歩は見事なものだったよ。 慧眼だって目覚めはじめてる。 だから、彼はきっとやり遂げるだろう、と私は信じているんだ。

夢窓さんには、いま信じている方法論の限界を知る時間が必要なのかもしれない。 なので、君を見限るのは、まだ時期尚早だとおもう。 ここでサヨナラを言うのはやめておくよ。

緑雲水

覚者様の投稿

赤雲水

夢窓よ

難化の人の心は猿猴のごとし・・・


当山雑感

己れの愚かさを直視することができないと、自分のしたことを正当化するための正論をでっちあげ、その正論の裏付けとなる知識集めに奔走するようになる。 この夢窓と名乗る修行者は、その方法論にすがりつき、その呪縛から逃れられずにいることがわかるに違いない。

この修行者が次回の投稿をしてきたのは、ほんの2〜3ヶ月後のことなのだけれど、その時には精神分裂症の典型的症状であるコミュニケーション障害を患い、もはや手遅れになっていた。 しかしながら、この時点では、精神分裂症の徴候がみられるものの、コミュニケーション障害自体はまだ軽症である。 このやりとりは、おそらく、運命からの最後の警告・ラストチャンスであったのだろう。

黒雲水
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