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【BBS:Q&A 9】恩寵は刹那的な体験か

仁悟の坐禅相談室『坐禅の智慧で答えます。』 恩寵は刹那的な体験か

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2011年11月:夢窓様より


夢窓様の投稿

>天に抵抗しても無駄だということを思い知ったとき心からガラクタが抜け落ちる。
>すると思いと行動の間にスジを通せなかった原因がわかり、心にオトシマエがつく。
>これが禅で言う“捨てる”ということであり、それは放棄・離欲の行に通じるものだ。

それでもまた自我の迷い、人生に引き戻された時にどう対処するのでしょう? 運命を天に全托(ぜんたく)するという態度...それは刹那的な体験なのではないですか? 偶然引き上げられた心をどうやって維持するのですか?

絶え間ない放棄・離欲の行を続けられる心の強さがあればそれも簡単なのでしょうけど。

矢印マーク 『大器になる人の三十路の歩き方』への投稿

赤雲水

当山の返答

黒雲水

運命を天に全托するという態度の重要性に気づきはじめるのは 心の性質の何たるかをつかみかけた後からのことで、 禅の十牛図で言えば、三番目の『見牛』を過ぎ、 四番目の『得牛』に至る段階からのことです。 私の体験では『見牛』の段階に入ったときに第三の結節が解けました。 ただ第三の結節を解いてから、まだ一年ほどしか経っていませんから、 私自身も気づきはじめたばかりなのです。

そこでM・マクドナルド・ベインの『解脱の真理』にある体験談から回答したいと思います。

>それでもまた自我の迷い、人生に引き戻された時にどう対処するのでしょう?

これはトライ&エラーを繰り返すしかないということになりそうです。

放棄・離欲の行を続けようとする心の強さというのは、 己れの限界を知ったときに内側から湧いてくるようで、 本人の決意・決心がそれを決定的なものにします。

私たちは知識をまるで数学の公式のようにパターン化して、 日々起こる出来事に対処しようとするものです。 ところが公式の通用しない状況に陥ったら、 あるいは公式を勘案せずに事に当たったほうが上手くいくとしたら、 公式を手放そうとすると思います。 そういう状況に何度もぶち当たって“ぷっつん”しちゃうというわけです。

大小を問わずすべての事象の背後に或る智恵が働いているらしく、 細かいことまで世話が行き届いていた。次第に私は「成る程」と 肯くように成り、遂には確信するようにまでなった。
宇宙を支配する英智があり、その英智はまた吾々をも支配してい る事が会得された。この英智はそれ自身完全なるが故にどんな微 細な事物でも洩らすものではないことを会得した。
爾来(じらい)この信念は常に私の身について離れることがない。
(M・ベイン『解脱の真理』-「第十章」P.308より)

故に、私自身は自分自(みずか)らで計画を立てることをせず、宇 宙の英智にそれを全托する。一切が私自身が計画したとした場合 より千倍も順調に行くのである。処が自分で計画すると、結局又 それを立て直さなければならない破目になるのであった。そこで 私は、物事は自分で計画を立てると、一切の技術を知り給う宇宙 の英智が導いて下さる時のようには行かないものである事を、悟 ったのである。
(M・ベイン『解脱の真理』-「第十章」P.309より)


では、マクドナルド・ベインのこの体験を基に考察してみましょう。

>運命を天に全托(ぜんたく)するという態度...それは刹那的な体験なのではないですか?

「体験は刹那的でも、そこから得られる教訓は永続的なものである」 とでも言ったところでしょうか?

>偶然引き上げられた心をどうやって維持するのですか?

これは意見を異にするところですが、 私は偶然に引き上げられるわけではないと思います。

「心の準備のできたとき、それに相応しい試練が待っている」

というのが私の経験上知りえたことです。 心が体験や試練に相応しい段階に達したときに、 あと一歩を踏み出す決意・決心を促すための出来事が必ず起こります。

そこで、これが私のこれまでの経験から導き出された結論です。

『人生そのものが公案、人生そのものが師』

これは大乗仏教で言うところの声聞道でもあると私は思っています。

「絶え間ない放棄・離欲の行を続けられる心の強さ」

というのも人生から与えられる数々の体験を通じて、 次第に引き上げられてゆくものではないでしょうか?

矢印マーク 『解脱の真理 改訂版―ヒマラヤ大師の教え』

ヴィパッサナー瞑想とはこれである。
天台の止観法というのもこれである。
つまり、坐禅とはこれなのである。

夢窓様の返答

>私自身は自分自(みずか)らで計画を立てることをせず、宇 宙の英智にそれを全托する。

計画を立てないということは、出会う出来事すべてに「YES!」という姿勢で向かうということでしょうか? これは周りに流されるままに生きるということになりませんか? そうしてみたら、案外うまくいくのかもしれませんが。 まあ怖かったりするんですよ。もともと怖がりな性格なので。

実は私も心洗われるような神秘的な体験に出会ったことがあります。

そのときは本格的に瞑想をし始めるだいぶ前で、神秘的なことに関心は人一倍持っていたのですけれど。 結節が解かれたという感覚はありません。それ以前よりは、いろいろと感じやすくなったのかもしれませんけど。 振り返ってみれば成長したような、あの当時の方が純粋だったような。

緑雲水

当山の返答

青雲水

なんか、その、質問の趣旨がわかったような気がします。

>実は私も心洗われるような神秘的な体験に出会ったことがあります。
>そのときは本格的に瞑想をし始めるだいぶ前で、
>神秘的なことに関心は人一倍持っていたのですけれど。
>結節が解かれたという感覚はありません。
>それ以前よりは、いろいろと感じやすくなったのかもしれませんけど。
>振り返ってみれば成長したような、あの当時の方が純粋だったような。

それは、私が『菩提心を興す』と呼ぶ心理になったときに与えられる神秘体験です。

ユングも12歳のときに体験しています。ちなみに私の興菩提心体験は33歳です。 若い頃は筋肉もやわらかく、オツムの調子もいいので神秘体験をするようです。 33歳の私はもう若くなかったので、ただ号泣するばかりでした。

これは「神仏への畏敬の念」といいますか、 なんらかの威大な存在を自分の中にはじめて意識したときに、 その証として与えられるもので、それ以上の意味はありません。

禅の十牛図でいうと第一の『尋牛』の段階に入ったと知らせるための体験なのです。 十牛図は各段階に入るときに何らかの体験をするもので、 脊髄下端の第二の結節解放は十牛図第二の『見跡』の段階に入ったときの体験ですから、 つまり、今の夢窓さんは『尋牛』段階で迷い続けているということがわかります。

>計画を立てないということは、出会う出来事すべてに「YES!」という姿勢で向かうということでしょうか?
>これは周りに流されるままに生きるということになりませんか?
>そうしてみたら、案外うまくいくのかもしれませんが。
>まあ怖かったりするんですよ。もともと怖がりな性格なので。

いかにも、出会う出来事すべてに「YES!」という姿勢で向かうことは、 周りに流されるままに生きることになるかもしれません。なぜなら、 今まで蓄積してきた知識を捨てて無防備の状態で吹きさらしになることですから。 もちろん、怖いですし、不安になるのも当たり前です。

ただし、坐禅の進歩のためには、これしかないんです。

「その恐怖の渦の中に飛び込む覚悟を決める」

このことについては『アイ・アム・ザット 私は在る』という書物の中に面白いやりとりがあります。

……普遍的力がコントロールをし、責任をもっているのだ。

(質問者)では、何でも好きなことをして、普遍的な力に非難を浴 びせればいいということですか?なんと楽なことでしょう!

……そうだ。とても楽なのだ。すべての動きを司るものの存在を 悟り、彼にすべてをまかせなさい。もしあなたがためらわず、ご まかすこともなければ、これが真我の実現への最短の道だ。欲望 と恐れなしに、すべてのコントロールと責任を放棄しなさい。

(質問者)何という狂気の沙汰でしょう!

……そうだ。神聖な狂気だ。

(『アイ・アム・ザット 私は在る』-「35 内なる真我が最も偉大なグルだ」)


それでは、よい坐禅を!

矢印マーク 『アイ・アム・ザット 私は在る』

結局このニサルガ・ヨーガに行き着いたのは驚きだ。
ニサルガダッタ・マハラジはあまりにクール。
そのため当初は冷徹な印象を受けたものである。
でも実はそれが本当の慈悲であり愛だった。
愛は神であり、神は愛である。
ゆえに愛はパラドックスである。

夢窓様の返答

>(質問者)では、何でも好きなことをして、普遍的な力に非難を浴 びせればいいということですか?なんと楽なことでしょう!
>……そうだ。とても楽なのだ。すべての動きを司るものの存在を 悟り、彼にすべてをまかせなさい。

ここに矛盾を感じるんです。好きなことをすることですか。
神にすべてをまかせるということは、好き嫌いしないということですよね。

ユングの自伝を読んでいます。神の意志に添うという言葉が出てきますけど、何が神の意志かがわからないのです。
しかしユングの自伝を読み進めていけば、答えが書いてありそうな気もするので、もう少し読んでみます。

桃雲水

当山の返答

赤雲水

>ここに矛盾を感じるんです。好きなことをすることですか。
>神にすべてをまかせるということは、好き嫌いしないということですよね。

なるほど。わかります。私も当初は矛盾していると思いました。
神にすべてをまかせるということは、好き嫌いしないということなんですけど、
本当に好きなことをすることは、神にすべてをまかせることと矛盾しないようです。

ユングはどうやって本当に好きなことをするようになったのか。
『ユング自伝』に答えが見つかるといいですね。

ではでわ。


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