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【BBS:Q&A 7】只官打坐と心随観の違い

仁悟の坐禅相談室『坐禅の智慧で答えます。』 只官打坐と心随観の違い

Presented by

2012年4月:夢窓様より


夢窓様の投稿

とても初歩的な質問をしてもいいですか?只官打坐と心随観の違いについてです。

只官打坐とは『ただ雑念が起こるがままにして、眺めること』

これは坐禅入門者がよく聞く、巷に溢れている坐禅の説明ですね。

心随観とは『記憶、トラウマを元に起こる、心の反応、考え方の癖、偏見、囚われを、自ら調べて、その正体をあばく、気づくこと』

つまり自我を調べること。 それに加えて、上記の只官打坐を組み合わせているようなカンジです。

巷で言われている、坐禅にしろ、瞑想にしろ、それらには自ら積極的に自我を調べようという姿勢はなく、 どこか超自然、無為のアプローチ方法で、ただリラックスしてひたすら雑念を受け流していけば、 自然と気づきが起こり、心が掃除されていくというような説明がされるのだと思います。
それが簡易で自然で最短な道のように語られていますよね。

そのようなアプローチで成果を上げている人もいるということでしょうか?
いきなり心随観と言われても、わからないので、方便のようなものでしょうか?
それとも教えている方も、よくわかっていないということでしょうか?

それから、瞑想していると、忘れている幼少期の記憶が鮮明に浮かび上がって来るなんて言いますけど、 私はそういう経験をしたことがありません。
自分はどちらかというと、瞑想をしていようが、普段の生活をしていようが、 トラウマや感傷的な出来事は繰り返し浮かび上がってきて、それを心随観して、 被害者的な心の反応に気づく努力をするんです。
トラウマや記憶をただ眺めているだけなんて、 感情的に苦しいだけの我慢比べのようになってしまいます。あるいは現実逃避というか。

正しく坐禅が出来ているのか、少し不安です。

矢印マーク 只管打坐の四階梯への投稿

赤雲水

当山の返答

黒雲水

夢窓さん、こんにちわ。投稿ありがとうございます。

そもそも『只管打坐』は道元禅師が『普勧坐禅儀』で示した姿勢を正しく取れる人のものです。 いわゆる結跏趺坐の姿勢自体に『只管打坐』の秘密があるのであります。 道元禅師は「悟境は結跏趺坐の姿勢に現れる」ということに気づいた人で、 『普勧坐禅儀』にその姿勢を肩と耳と臍の位置関係で示してあるんです。 ですから重要なのは脚の組み方ではなく、肩と耳と臍の位置関係でして、 その姿勢は“脊髄にある三つの結節”を解いて肉体変性を完了した人以外は不可能なものであります。 つまり道元禅師が『普勧坐禅儀』で示した結跏趺坐の姿勢は、あくまでも、 不随意筋を解消して体軸を真っ直ぐに調えた禅者だけにゆるされる姿勢なんです。 「その姿勢になったとき誰でも機械的に無念無想になれる」 というのが道元禅師の提唱した『只管打坐』のカラクリです。

後にこの事実を追体験して著作でカラクリを暴いた人物が『肥田式強健術』の肥田春充でして、 この辺りの消息は春充の著作に詳しく述べられています。 ただ肥田春充の著作は『心随観』の重要性についてほとんど触れていません。 というわけですので肥田春充が独力で『只管打坐』に到達したことを考えれば、

>そのようなアプローチで成果を上げている人もいるということでしょうか?

と聞かれたら「たぶん、いる」と答えなければいけないと思われます。 たとえば生まれつき結節が解けてしまっている方がいらっしゃるのではないでしょうか。

また第三の結節を解く頃になれば「心はいかに彷徨うのか?」「心はいかに欺くのか?」 「心をどう鎮めたらよいのか?」という自我の性質に気づいているため、 心の饒舌(おしゃべり)が極端に少なくなってきます。 心が饒舌(おしゃべり)を始めた途端にそれに気づくという感じでしょうか。 そうすると後はそれを止めるまでの話になってきますので、 『ただ雑念が起こるがままにして、眺めること』 という精神集中的アプローチもこの頃から有効になってくるわけです。 ただし、世間一般の大多数を占める私たち凡人の場合は、 心随観を飛び越えて、いきなり『只管打坐』というのは無茶な話です。 したがって普通の人の場合はまず心随観から修めていかなければなりません。 ところが、そんな『心随観』未経験者の凡人が坐禅を語るとしたら、 「ひたすらぶっ坐る」という字義でしか『只管打坐』を説明できません。 ということなら『只管打坐』ではなく、官能のほしいままにまかせる『只官打坐』に陥るのも当然で、

>それとも教えている方も、よくわかっていないということでしょうか?

教えている方はさっぱり意味がわかっていない様子であります。

ですから、

>いきなり心随観と言われても、わからないので、

というより心随観すら修めていないから『只管打坐』の悟境にも至らず、

>方便のようなものでしょうか?

というより単に知識をひけらかしているだけのペテン師なんだと思います。

>それから、瞑想していると、
>忘れている幼少期の記憶が鮮明に浮かび上がって来るなんて言いますけど、
>私はそういう経験をしたことがありません。

これは無意識層の探求を始めて十二因縁を知る頃の話のようですから、
縁覚道に突入してからのことではないでしょうか。

>自分はどちらかというと、瞑想をしていようが、普段の生活をしていようが、
>トラウマや感傷的な出来事は繰り返し浮かび上がってきて、それを心随観して、
>被害者的な心の反応に気づく努力をするんです。
>トラウマや記憶をただ眺めているだけなんて、
>感情的に苦しいだけの我慢比べのようになってしまいます。あるいは現実逃避というか。

まさしく、それが心随観であります。
「被害者的な心の反応」「感情的に苦しいだけの我慢比べ」
こうした心の反応の観察に飽きてくる頃に自分のバカさ加減に呆れる瞬間があります。 そのときに真剣に克服する決意をしたら状況をクリアするための智慧が浮かぶのです。 その智慧を『言葉の処方箋』としてストックしていけばよいわけです。 坐禅修行では、この繰り返しの先に“ぷっつん体験”や“結節解放”のイベントが必ず待っているものなので、 『言葉の処方箋』はそれまでの悟境進歩の証となるはずであります。
ただしイベントが訪れるまでは(訪れてからも)常に不安がつきまとうのですけど、 こればかりは、残念ながら「正道を歩んで違わぬ」と信じて待つしかないようです。

それでは、よい坐禅を。ではでわ。


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