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【第4話】裁判員制度と男の助平

興禅富国論 裁判員制度と男の助平

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裁判員制度の不合理性


裁判員制度の不合理性

「なぜ世の中から犯罪や紛争はなくならないのか」という命題は
「なぜ男は助平なのか」という命題に通じると私は依怙地(えこじ)に思っている。

09年5月21日からスタートすることになった裁判員制度は、
殺人・強盗致死傷・傷害致死などの“重大な犯罪”の裁判に
われわれ市民を引っ張り出そうという制度だそうである。

たぶんこの制度の根底には こういう単純な発想があるに違いない。

誰もが納得するような合理的な判断基準を人間は導ける。

何の関係もない市民を引っ張り出すのは、そのためだ。
つまり公約数的に選ばれた裁判員を含めて話し合うことで
市民感情にも配慮した合理的な判断基準を導いて裁こうというわけだ。

こういう制度を作ってしまうのは「犯罪や紛争のなくならない理由」
ひいては「男の助平の道理」をさっぱり理解していないからではないだろうか?

それなら私にも一家言(いっかげん)あるので、ここに書きつけておきたい。

例えば、幼少期のお気に入りのおもちゃに飽きてしまった時のこと
を考えると、このことがよく分かるとおもう。

たぶん、そういう時に合理的に考えて「飽きた」と言う子供はいない。
いつの間にか一つのおもちゃに対する執着がなくなって飽きるのである。
興味が他のおもちゃに移ることに合理的な理由なんてないのだ。

それは大人になってからの男の助平にも当てはまる。
ある種の男は いつの間にか一人の女に対する執着がなくなって飽きる。
そのとき他の女に興味が移っても、そこに合理的な理由なんてないのだ。
たとえ男が理由を述べたとしても後から取ってつけた言い訳にすぎない。

とどのつまりが、アソコが疼(うず)いちゃっただけなのである。
本人でさえ理由がわからない助平を他人が理解できるわけがない。
理性を欠いた不可解な衝動。そこに民事紛争が起きるわけだ。

これは裁判員制度で扱うような“重大な犯罪”にしても同じことである。
わざわざ割りに合わない犯罪を犯すのに合理的な理由なんてない。
理性を欠いてしまった挙句の行動にすぎないのだ。

だから犯罪者が理性を取り戻す手助けをしない限り、
どんな合理的な裁きも根本的な解決には結びつかないのである。

赤雲水

“助平”という名の業

黒雲水

もしも犯罪や紛争と向き合う気が本当にあるなら、
法曹の数を増やしたり、裁判員制度の普及に力を入れるよりも、
理性を訓練する手段として坐禅を普及するべきである。

それに合理性のない人間の衝動を合理的に裁こうなんて思い上がりにすぎない。

沈黙している者も非難され、多く語る者も非難され、
すこしく語る者も非難される。世に非難されない者はいない。(法句経227)


人間は有史以来、心の中にある常識という名の偏見を振りかざして
誰彼かまわず非難し裁くことを繰り返している。
その大義名分となった常識にしても、時代とともに変遷するような
信頼のおけない非合理的なものであるにもかかわらずだ。

まさに合理性を欠く男の助平は非難の槍玉に何度上がってきたか数知れない。

ショートパンツから伸びたスラリとした脚を眼で追いたくなる衝動を抑え、
わざとはだけさせたような胸元にドキリとしては見てみぬふりをしているのに、
なんだか「どこみてんのよ、このスケベ」などと勘ぐられているようで、
立つ瀬のない思いをするのは、私は、もう、たくさんなんだ!

そんな私にとって、この句に添えられている2500年前のお釈迦様の言葉は、
せめてもの慰めになるかもしれない。

これは昔にも言うことであり、いまに始まることでもない。(法句経227)

男の助平というものは、それにしても度(ど)しがたい業(ごう)ですな。


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