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【第十四話】心のバラ

閑雲野鶴 心のバラ

Presented by

さびしかった僕の心にバラが咲いた


43歳の男…ハマクラにハマる


いまハマクラにハマっている。

浜口庫之助(はまぐち くらのすけ)[1917-1990]―戦後の昭和歌謡を代表するソングライターなんだけど、昨年(2016年)、生誕100年に先駆けて著書が復刻されていた。

矢印マーク ハマクラの音楽いろいろ (立東舎文庫)

人生いろいろなんだな―いいエッセイ集です


ハマクラといえば、私が中学生の頃だったろうか…『人生いろいろ』という晩年のヒット曲に表記されていた名前を記憶しているくらいで、正直なところあまり馴染みのないソングライターだった。

それが、何故いまハマクラなのかといえば、きっかけはやはり井上陽水先生で、石原裕次郎が歌っていた『夜霧よ今夜も有難う』をカバーしているのを聴いて、しみじみきちゃったというわけである。

しのび合う恋を つつむ夜霧よ
知っているのか ふたりの仲を

晴れて会える その日まで
かくしておくれ

夜霧 夜霧

僕らはいつも そっと言うのさ
夜霧よ今夜も有難う

夜更けの街に うるむ夜霧よ
知っているのか 別れのつらさ

いつか二人で つかむ幸せ
祈っておくれ

夜霧 夜霧

僕らはいつも そっと言うのさ
夜霧よ今夜も有難う

(浜口庫之助『夜霧よ今夜も有難う』より)

いわゆるムード歌謡なんだけど、なんだかすごく好い。

― 夜更けの街に うるむ夜霧よ 知っているのか 別れのつらさ ―

てなところとか…

― 晴れて会える その日まで かくしておくれ 夜霧 夜霧 ―

なんてところはホントたまらん。

「めぐり逢えたら僕らは離れていく」という宿命を実際に体験している身としては、<<おお、そうか、これが夜霧なのか…夜霧よ今夜も有難う>>なんて素直に思わずにはいられない。

ボクは生前の石原裕次郎が歌っている姿をテレビで観ていた世代だから、この歌自体は知っていたんだけど、その頃はまだ若かったこともあって、<<なんか古くせえな>>くらいにしか思わなかった。

人間て年齢を重ねると変わるもんだね。

矢印マーク UNITED COVER 2

2015年―井上陽水67歳のカバーアルバム
『夜霧よ今夜も有難う』収録

赤雲水

40-42歳の大厄での転身

黒雲水

この『夜霧よ今夜も有難う』もそうなんだけど、ハマクラの名曲は49-50歳の頃に集中して産み出されていて、遅咲きのちょっと変わった人生を歩んでいる。 そんな興味もあってハマクラのエッセイ集を手にしたのだ。

この時期のハマクラはまさしく神がかりで、井上陽水レベルの異次元の歌を書いてるんだけど、とくに49歳のときの『バラが咲いた』という歌がボクには謎だった。

バラが咲いた バラが咲いた
真っ赤なバラが
さびしかった僕の庭に バラが咲いた

たった一つ咲いたバラ
小さなバラで
さびしかった僕の庭が 明るくなった

バラよバラよ 小さなバラ
そのままで そこに咲いてておくれ

バラが咲いた バラが咲いた
真っ赤なバラが
さびしかった僕の庭に バラが咲いた

(浜口庫之助『バラが咲いた』より)

さびしかった僕の庭に小さなバラが咲いた。 そのまま咲いていて欲しいとおもっていたのに、バラは虚しく散ってしまう。

バラが散った バラが散った
いつのまにか
僕の庭はまえのように さびしくなった

(浜口庫之助『バラが咲いた』より)

ところが、庭のバラが散ってしまったら、今度は心のバラが咲きました、というのだ。

僕の庭の バラは散って
しまったけれど
さびしかった僕の心に バラが咲いた

バラよバラよ 心のバラ
いつまでも ここで咲いてておくれ

バラが咲いた バラが咲いた
僕の心に
いつまでも散らない 真っ赤なバラが

(浜口庫之助『バラが咲いた』より)

この心のバラというのは一体なんなんだ?

昨年末にマイク眞木がこれを歌っているのをテレビで観たんだけど、その意味がわからなくて考え込んでしまった。

それから謎はもう一つ。

たとえば松尾芭蕉、夏目漱石、バルザック…世の中には49-50歳を越えた時点であっさり死んでしまう天才が多い。 村上春樹がレイモンド・カーヴァーという米国の作家の作品を若い頃から追いかけていて、全作品を翻訳しているんだけど、その人もやっぱりその時点で死んでいた。

この中途ハンパな連中は一体なんなんだ?

こうした疑問の答えがハマクラのエッセイにあったのである。

花の時代と実の時代


 人間の一生には、花の部分と、実の部分と、幹と根とがあるように思う。 子どもは、みんな種で、どんぐりだ。 学生時代は小さな木だ。 この辺から花をチラチラ咲かせる連中が出てくる。 裕次郎は、そのころに花を咲かせ、その後ずうっと花として生きて、一生を終わったのだ。

 僕は違った。 花の時代は四十歳で打ち止めにした。 体のなかから、心のなかから、お前はもう花の時代ではない、という声が聞こえてきたからだ。 おそらくカイコでも、セミでも、チョウでも、身体の内奥から、自然の神の声が聞こえてきて、逆らわずに変身してゆくのだろう。

 僕は四十歳で花から実りの時代を感じ、舞台人としての役割を極力捨てていった。 脱皮しようとした。 お蔭様で静かな人生が得られ、歌という小さな実をぽーっとつけることが出来た。 これからももうしばらく、実をつくる人生を送りたいなと思っている。

浜口庫之助『ハマクラの音楽いろいろ』P.52-53「ヒット曲の周辺」


『夜霧よ今夜も有難う』を歌っていた石原裕次郎も、49-50歳を越えた時点の52歳で死んでいる。 ハマクラの考察によると「石原裕次郎は花のままでいようとしたから、実をつくらずにそこで死んだんだ」ということになるらしい。

ハマクラ自身は40歳以前は歌手として活動していて、NHKの紅白歌合戦に三回ほど出演したこともある。 その後40-42歳の大厄から作曲家に転身していったのだけれど、それはカイコやセミやチョウがさなぎに変わるようなものだったと回想している。 彼が49-50歳の頃にソングライターとしての実をつけることに成功した理由は、花としては散ることにした40-42歳の大厄での転身にあったというのだ。

僕の庭の バラは散って
しまったけれど
さびしかった僕の心に バラが咲いた

人は花として咲いたら散らなければならない―その宿命を受けいれ、実をつけることができたとき、いつまでも散らない心のバラが咲く。 一度咲かせた花が散らなければ人生の果実は収穫できないのだ。 ハマクラが49歳のときに作った『バラが咲いた』には、そういう意味があったらしい。

このハマクラのエッセイ集には作曲家に転身しようとしていた40歳のときのお話もある。

一度、勇気を出して下りればいい


 僕には、歌手として、頂上に登ったという自信があった。 この山に登ることができた以上、あの山にも絶対登れるはずだと思った。

 ただ頂上から別の山を見て、あっちへ登りたいと思っても、頂上から頂上に行くわけにはいかない。 必ず一回下りて、また登らなきゃいけない。 アルプスに登ったからといって、今度はヒマラヤだと、アルプスの頂上からヒマラヤの頂上に、調子よく飛ぼうとしてはいけない。

 一度、勇気を出して下りればいい。 そのためにはある程度の辛抱がいる。 貧乏するかもしれない。 しかし、アルプスに登ったときの苦労を体験しているし、ノウハウも知っている。 それがヒマラヤに登るときの貴重な糧になるはずだ。

浜口庫之助『ハマクラの音楽いろいろ』P.31-32「音楽と人生」


ボクは35歳からずっと作家志望できてたんだけど、40-42歳の大厄に入ってから、なんだかソングライターの方向に運命の流れが変わってきてしまっていた。

でも音楽なんか学生時代以来ほとんど触れてこなかったのだ。 作家としての技術であれば相当な段階まで洗練されてきているのに、ここまできて<<なんで今さら…>>とおもうところがあって、決心を固めるのに時間がかかってしまった。 まあ、これはいつものことだから、もう勝手はわかっているつもりだけれど、こういう進路変更はそろそろこれで勘弁してほしい。 とにかく今回は、最後にハマクラが背中を押してくれた形になった。

― 一度、勇気を出して下りればいい ―

とりあえず今のところは、ずっと登ってきている『坐禅作法』シリーズという山の頂きに立ってみたい。 そしてそこからの景色を眺めたら、そそくさと下山しようとおもっている。

(2017.6)


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