つべこべ言わんと坐ってみぃ・・・。
養心寺の紹介記事
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養心寺は、多くの過ちを犯しながらも煩悩の世界に迷っている在家仏教徒・仁悟居士の坐禅するインターネットのお寺です。
仁悟のブログもよろしく。
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興禅富国論(こうぜんふこくろん)
まさにしるべし!この世に坐禅で解決できない問題などありはしない。今は昔の2500年前、お釈迦さまは こうおっしゃった。
「ものごとは、心にもとづき、心を主とし、心によってつくりだされる。」
これを何と得心するか?坐禅とは、ものごとの根本たる心を糺(ただ)し、国民に安らぎと富を与え得る唯一無二の方途なり。
今、ここに、禅の要術を開陳し、坐禅を盛んにし、国家の諸々の混乱を鎮めん!
閑雲野鶴(かんうんやかく)
説教や刑罰によって心を開くことがこの世にあるだろうか?
少なくとも、私はそんなもので心を開いた試しはない。
私の心を開いたのは、法華経と聖書にある譬(たと)え話やトルストイの童話に隠された真理だった。
それは、過ちを犯し続けていた私の心に、いつの間にか花の種のように植えられ、改心とともに根づき、やがて開花した。
だから私は、文学の持つ力を信じている。その力は、心を厚く覆っている虚構を透かし、心の奥にある本質を照らし出す。
取り留めのない文章のなかに私の観取した妙法を散りばめてみたい。
「悟りだ!慈悲だ!」なんて言ったって、たぶん、あたりまえにその辺にあるものなんだから。
閑雲野鶴。閑と漂う雲のように、悠々と野に遊ぶ鶴が如くに。
み仏の詩
坐禅を続けてゆくと己の愚かさを痛感せざるをえない。
心がいたずらに彷徨い、怒りや嫉妬や強欲などの煩悩に犯される自分に気づく。
その度に、人は謙虚であることの尊さを思い知る。
そんなある日、七五調の詩句を何度も唱えていると心に沁みこみやすいことを発見した。
つまり、いつも己を悩ませていた煩悩を知らぬ間に乗り越えていたのだ。
力のある詩句や言葉は、人の心を変える力を確実に持っている。
だから私の坐禅修行にあたって作った詩句や言葉をいくつか紹介したいとおもう。
悩みのなくなる坐禅ライフ
坐禅を生活に取り入れることはシンプルな生活につながります。
なぜなら、心から余計なものをそぎ落とすと、人生からも余計なものが落ちてゆくからです。
心の中にガラクタがいっぱい詰まっていると、生活の中にもガラクタがいっぱい溢れだします。例えば、
「いつか始めようとおもっている趣味」「とっくに興味がなくなったのに続けている習慣」 ほとんどの人の家には、それに付随するものが溢れかえっているはずです。
坐禅によって心を整理すると、そのつまらないガラクタも整理することができるようになってきます。
そして、坐禅がもたらすシンプルな生活こそ豊かさを象徴するものであることに気づくでしょう。
なぜなら、必要なものは全て手許に備えられていることを確信するからです。
仁悟の坐禅相談室『坐禅の智慧で答えます。』【BBS(掲示板)】
坐禅修行において、よき師に恵まれるほどの幸運はありません。
しかし、独り試行錯誤しながら、よき師に巡り合う時節まで辛抱強く坐禅を行じている方もいらっしゃるのではないでしょうか?
もし、独りの坐禅修行で行き詰まってしまったら、坐禅を通じて相談しあいましょう。
このコンテンツは宗派を越えて『坐禅の智慧』で話し合う掲示板です。
坐禅をするもの同士、智慧を出し合いませんか?