仁悟の坐禅相談室『坐禅の智慧で答えます。』

もし、独りの修行で行き詰まってしまったら坐禅を通じて相談しあいましょう。宗派を越えて『坐禅の智慧』で話し合う掲示板です。坐禅をするもの同士、智慧を出し合いませんか?
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当山は禅道場ですので、みずからの無智をあからさまに粉砕されることも覚悟のうえで投稿願います。
No.9に関するツリー ▼-エゴ=分離 [ナマステ] (2013/03/18 17:03) └Re:エゴ=分離 [布施仁悟] (2013/03/20 09:50)
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[9] エゴ=分離 |
Name: ナマステ Date: 2013/03/18 17:03様々な座禅に関する情報を興味深く読ませていただいています、ありがとうございます。 ところで、HPの言葉の節々から「私は他人とは違う」というような意識を感じます。 これは分離の意識です。 「奇跡のコース」というイエス・キリストの声を聞いたとするチャネリングの本があります。 この本に拠れば、エゴとは分離のことであり、また瞑想によるよりも時間を短縮できる悟りの方法があるとされています。 ご興味があれば読んでみてはいかがでしょうか。
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[10] Re:エゴ=分離 |
Name: 布施仁悟 Date: 2013/03/20 09:50ナマステさん。こんにちは。
電脳山養心寺住職の布施仁悟です。
当山は禅道場ですので、みずからの無智をあからさまに粉砕されることも覚悟のうえでの投稿と思います。 これから多少きびしいことも書かなければなりませんがご了承ください。
当山の伝える“正統の禅修行”の過程では“分離の意識”克服の前に孤独を体験しなければなりません。 その段階では各人の人格というものはそもそも分離していることを徹底的に痛感させられます。 当山ではその段階のことを『興菩提心体験』と呼んでいるわけです。
この体験で各人の人格がそもそも分離している事実を痛感したときから、 われわれ禅者は人格の根本にある仏性にはじめて眼を向けるようになります。
一切衆生悉有仏性(いっさいしゅじょうしつうぶっしょう)。 「人格はそれぞれ違っても仏性は誰にでも備わっている」という意味です。
したがって、その仏性においては分離などないということを知るのは『興菩提心体験』以降。 つまり当山の伝える“正統の禅修行”はそこから本格的に始まるものですので、 少なくとも『興菩提心体験』の近くまできている方でなければ当山の記事を誤読することになります。
ナマステさんは『興菩提心体験』の入口のはるか以前の段階にいるようですから、 当山の記事から「私は他人とは違う」という意識を感じるのは無理もないことで、 それはむしろナマステさんのオツムに属する問題ゆえに、 他人の“分離の意識”をどうこう指摘するのは見当ハズレでございます。
「奇跡のコース」で「エゴとは分離のこと」という言葉の字面だけを読んでワカッタ気になるのではなく、 それを『興菩提心体験』のような決定的な体験を通して痛感することが重要だと当山では考えます。
ではでわ。
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